2011年4月18日月曜日

別な道


今回の大震災・原発震災によって、何らかの感化を受けた人は少なくないはず。
たいていの人々は、暮らし方そのものを根本的に見直さなければと、目が覚めたのだ。

マスメディアでは口々に『復旧』だとか『復興』だと騒ぎ立てる。
連日連夜、ACジャパン(昔は公共広告機構と言ったっけ?)による呼びかけの繰り返し。大部分がテレビ・ラジオ依存症のニッポン在住の人々は、マインドコントロールされてしまっても不思議ではないだろう。「ニッポンは必ず、復興する!」だと。

でも、ちょっと待ってくれないか。
ここで立ち止まり、考えてみませんか?

本当にかつての浪費社会に『復旧』して良いのだろうか? ましてや、さらなる高排出社会へと『復興』してしまったら、私たちの子孫はずっとこの地域で暮らしてゆけるのだろうか?
このテーマについては、既に多くの人々が発信していると思いますので、詳しくは偉大なる先人方にお譲りします。
この大震災で目を覚ました人はいいけど、残念ながら、何も学ばない人も少なくはない。そのような人々が、点けっ放しのテレビの前から動かない。そして、経済・産業界がバックの広告無限ループ。鮮やかな洗脳術。「我が国が復興を遂げるためには経済力が、エネルギーが、電力が必要なんです」となる。「資源の少ない我が国が安定的に電力を得るためには、原子力発電が必要なのです!」との屁理屈にさえ疑いもしなくなる。


全国紙やテレビ・ラジオでは、毎日毎日、経済の話題。
○○自動車の生産がどうとか、為替相場がどうとか。 経済って、そんなに大切なのでしょうか?

経済についてちゃんと勉強していない私(工学部出)でも、家計の収入がこれくらいで、支出をこれくらいに抑えないと、貯金できないね、くらいは解る。または、「今年の冬は白菜が豊作で、市場では安価で取引され、食卓は毎日毎日、白菜料理になった」とか。そういう意味では経済を考える事はとっても大切だとは思う。

でも、テレビや新聞で話題が上がる『経済』って、何だか別世界の話のよう。そんなに世界で2位とか3位とか、上位のGDPの国である事が大切なのですか。GDPが高いと幸せで安全な暮らしができるの?子の代、孫の代、そしてこの先何代もずっと幸せな日々を送る事ができるの?この世界は不平等と暴力と、思いやりの欠如で満ちているけど…。

いや、何よりも第一に経済が大切だというあなたへ。
そんなに『経済』が大切だというなら、どうぞ、福沢諭吉さんがプリントされた紙切れでも召し上がれ。そんなモノよりも、私は炊きたてご飯が食べたいです。
そして、訊いてみたい。
人が生きてゆく上で、まず、何が必要なのですか?
そして、大切なものは、なんでしょう?

それと、もうひとつ。以前から抱いていた疑問です。 脱・原発の話になるとすぐに、『では、代替エネルギーはどうする?』と議論を進める人が大半な事。自然エネルギーへの転換を進めるとかどうのこうの。実用化はどうとか、実際は問題だらけで使えないとか。出口のないトンネルみたいな気分になる展開。
訊いてみたい。
なぜ、エネルギーの消費自体を減らそうという話にならないのか? またまた家計の例えで言うと、収入が少ないなら、それに見合ったお金の使い方をすれば良いだけではないだろうか?実際、収入を増やす事の方が難しい事は誰でも実感している真理なのでは…。

技術でエネルギー問題を解決できると信じたい気持ちも解る。私もテクノロジーが大好きだ。
でも、真理はこうだ。


ある問題を引き起こしたのと同じマインドセットで、その問題を解決することはできない。
——アルベルト・アインシュタイン
マインドセット: 心の枠組み、型にはまった考え方

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あのぅ〜。


これを機に『貧乏』になったって、良いじゃない?

『豊かな貧乏』

これは、震災がきっかけで浮かんだ考えでは決して無い。結構前から、私も、私の親しい人たちも、この国の持続可能な社会を理想とする人々は皆、思っていたこと。

私は、親や祖父母の代から始まって、狂ったように資源やエネルギーを消費し続けたこの暮らしを見直す良い機会だと言いたい。この土地や資源は、この地球の、遠いご先祖からの借り物でしかない。いずれ、その「借り」を返さねばならない日が必ず来る。いや、もうその取り立てが始まったのだ。『成長の限界』が来てしまっている。

我が国の経済(生産→消費・浪費)は現在の頭打ちから、緩やかに下降させてゆく。
目指すは、北欧諸国のような。ブータンのような…。
人口も減らすのだ。この諸島に現在のこの人口は定員オーバー、とても養えない。少子化は大賛成、当然の成り行き。

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いまこそ「別な道」へと歩を進めるときだと思う。


勇気を持って、原子力への反対を表明しよう。 
同時に、電力に頼りすぎない、豊かな暮らし方を模索していこうではないですか。
特に、東京電力管内にお住まいで、計画停電の影響をモロに受けた人々に訊いてみたい。
大変不自由な思いをされた事と思う。都市生活は麻痺し、生活や安全も脅かされた。どんな状況だったか、仙台に住む私からは想像すらできない。謹んでお見舞い申し上げます。
でも、ここでちょっと思い出していただきたい。福島県や新潟県の原発が無くなっても、計画停電を免れた日も少なくなかったはずだ。エレベーターが動かない。コンビニが24時間営業していない。それがどうしたというのだろうか?

電力は余っている。
深夜電力の利用やオール電化住宅、数々のライトアップは、夜間に出力を調整できない原子力発電の余剰電力を使わせるための、言わば、人々に電力を浪費させるための大キャンペーンなのだ。電気自動車がクリーンだって?冗談言っちゃいけませんよー。そりゃあ、電気自動車が走り抜けた後の空気はまず綺麗かも知れないが、福島や新潟の人々は、トウキョウ様で使われる電力を発電するために、放射性物質を日々浴びているんですよ。原発の立地場所の自分たちが使う電力ではない、そこに気付いて欲しい。

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4月22日 追記
下は、「脱原発 入門講座」からの引用です。


事故がなくても放射能は出ています
  • 事故さえなければ放射能は漏れない、あなたはそう思っていませんか?
  • 電力会社も、人々が詳しく知らないころは、原発を建設する時に「放射能は全く出しません」と地元の人たちに説明していました。
  • しかし、今ではそんなことは言いません。うそだからです!
  • 原発では、たとえ事故が無くても、気体の放射能や冷却水に漏れ出す放射能を排気口や排水口から放出しており、これをゼロにはできません。
  • そのことが広く知られてから、電力会社や政府は「放射能はどこにでもあるから恐くない」と言う宣伝に切り替えました。
引用終わり
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冬なのに室内は半袖で過ごせるほどの暖房。逆に夏はドア開けっ放しで冷蔵庫並みの気温設定。それは、私たちが生きていくために必要だったのか。そこを少しでも考えて欲しい。都市生活はあたかも電力が無尽蔵にあると私たちに錯覚させてしまった。この震災を機に、私たちは目を見開き、現実を直視しないといけない。

これまで、どんなに犠牲を伴ってきたか。物理的な問題だけではない。原発の賛成・反対と2つに分断され、どんなに地域社会がギクシャクしてきたか。そして、他地域からの差別を受けてきたか。私にも計り知れない。
原発について知りたい方、下のリンク先を是非読んでいただきたい。
原発がどんなものか知ってほしい

脱・原発についてもっと知りたい方は、こちらです。
脱原発 入門講座

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