2011年5月20日金曜日

「私たちには知る権利がある」


鵜呑みにしない。
真に受けない。

私たちには"政府の公式見解"を信用したい気持ちがある。お上の言う事なんだから、まず間違い無いだろ、と。
いや、正確には「そのように訓練されてきている」のかもしれない。義務教育の段階から、学校の先生の言う通りにすると"良い子"であるとみなされ、先生に逆らう事は"不良"ということになっていたと思う。



中学生の頃、私は世の中に対する疑念が高まっていったのだが、当時、熱心に私に教えてくれていた理科の先生は私に良くこう言った—『危険を冒すな』。そのように私を諭す事が、あの先生ができた精一杯の事だったのだろうかなと今は思える。でも、本当にそれが教育なのだろうか……。

私が生まれ育った風土や地域社会の要因もある。ここらの人々は、胸の内を声に出して言わない傾向にある。特に、政治に関する話題はタブーだ。戦国時代から殿様の権力が強かったからなのか、恐かったのか?逆らえば命は無い?…とにかく寡黙で、人前では文句一つ言わずせっせと働く人が多い。そのくせして、陰では自分の考えを信頼できる親しい人などに話す。意外に強い思いを抱いていたりする。政治などにも決して関心が無いわけではないのだが、訴えることはしない。「お上の言う通りにしていれば、まず、間違いない。とりあえず生きていくことができる。」というのが、この地方独特の生きる知恵になっている。昔は、お上に逆らえば即・処刑だったのか。よっぽど、殿様のことを信頼していたのだろうか。私はこの通り、言いたいことを口にするタイプなので、この土地では煙たがられる存在となる。

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あれは、私が小学2・3年生の頃だろうか。
あさ、目を覚まして茶の間へ入ると、家の外から聞いた事のない、獣の鳴き声のようなものが聞こえた。

それは父だった。
朝食を摂り終えた父が、食べた物を嘔吐していた声だった。
「農薬のせいよ。」窓越しに母は心配そうに父を見やった。

私が3歳の頃までは専業農家であったが、私が物心ついた頃にはすでに、父は日中、隣り町へ働きに出るようになっていた。朝4時頃に起きてからの朝食前と、仕事から帰ってからの夕食前が、平日の農作業時間であった。
稲作の他に規模が大きかったのはキュウリ畑だ。キュウリは病害虫には弱い作物とされ、農家は"収穫を得るため"の農薬散布を幾度となく行う必要があった。
その日も、父は朝飯前にキュウリ畑に"クスリ"(農薬の事を農家はこう呼ぶ事が多い)を撒いてきたのだ。

その出来事は、私が農薬に対する、そして農業に対する印象を決定づけた。

いま、私がこうして、化学合成農薬・化学肥料を使わないで作物を育てること、いわゆる自然栽培を目指す動機の一つに、直接口にする食べ物に対して、毒物を振りかける行為はいかがなものかという、子供の頃からの素朴な疑問がある。

他に大きいことは、農家に対してこのように肉体的・精神的負担に加え、経済的負担をも強いる化学農法からの脱却を一刻でも早くせねばならないと感じている事。化学農法は結論だけを言えば、生物多様性を失い、土壌を破壊し、河川や海洋汚染を招き、結局は農地の生産性を著しく悪化させてしまう。干ばつや多雨といった異常気象に弱くなり、土壌流出・砂漠化といったオマケつきである。

これまでの人生でいろいろと寄り道はあったけど、目指すべき目標はこの父のゲロ事件の時点で決まっていたのだと思う。後に高校に進学した私は、学校の図書館で一冊の古い本との出会いを果たした。そのタイトルは『生と死の妙薬』。青樹簗一 訳。これがかの有名な、レイチェル・カーソンの"SILENT SPRING"だと読み進めるうちに気がついた。


いますでに分かっていることは、少なくないのだ。それなのに、私たちはその知識を十分利用しようとしない。大学では生態学者を養成し、政府関係にも生態学者はいる。それなのに、滅多にかれらの言葉に耳をかそうとしない。化学薬品の死の雨がふる。ほかにどうしたらいいのだい、これがいちばんいいのじゃないか、と、みんな知らん顔をしている。だが、他にも方法はある。何でも発明する私たちなのだから、機会さえ与えられれば、もっといろんな方法を発見できるのに……。
 みんな、催眠術にかけられているのか。よくないものも、有害なものも、仕方ないと受け入れてしまう。よいものを要求する意志も、ヴィジョンも失ってしまったのか。
(中略)
土壌、水、野生生物、そしてさらには人間そのものに、こうした化学薬品がどういう影響をあたえるのか、ほとんど調べもしないで、化学薬品を使わせたのだった。これから生まれてくる子供たち、そのまた子供たちは、何というだろうか。生命の支柱である自然の世界の安全を守らなかったことを、非難して止まないだろう。
どんなおそろしいことになるのか、危険に目覚めている人の数はほんとうに少ない。そしていまは専門分化の時代だ。みんな自分の狭い専門の枠ばかりに首をつっこんで、全体がどうなるのか気がつかない。いやわざと考えようとしない人もいる。またいまは工業の時代だ。とにかく金をもうけることが、神聖な不文律になっているのだ。殺虫剤の被害が目に見えてあらわれてみんなが騒ぎ出しても、まやかしの鎮静剤をのまされるのがおちだ。このような虚偽、口にあわない事実に砂糖のオブラートをかけることなど、もう止めにしたらいい。昆虫防除の専門家が引きおこす禍を押しつけられるのは、けっきょく私たちみんななのだ。私たち自分自身のことだという意識に目覚めて、みんなが主導権をにぎらなければならない。いまのままでいいのか、このまま先へ進んでいっていいのか。だが、正確な判断を下すには、事実を十分知らなければならない。ジャン・ロスタンはいう——《負担は耐えねばならぬとすれば、私たちには知る権利がある


発表から今年(2011年)で49年もの歳月が経過しているが、カーソン女史のこの指摘には少しも古さが感じられない。それだけに、農業と化学薬品業界、医薬業界をめぐる問題がずっと解決していないという事実…気が滅入ってしまう。

(2011.06.05 追記) 上の「沈黙の春」にて述べられている、化学薬品使用に対する黙認・沈黙・傍観・無関心といった集団化はそのまんま「原子力」について行われている事へ置き換えられる、という事が言いたかった。これは静かにこの世界に巣食っている恐ろしい事態である。

さて、前置きは長くなったが、原発震災情報である。

仙台で開かれた原発を考える集会で出会った方が熱心に情報を公開されている。自身もご子息の健康を心配され、これまでに西日本への疎開などを実行されてきた。

仙台のイベントで知り合った仲間。原発事故を受け避難民となるも、現在は旦那様の出身地である宮城県中部の山あいの地に滞在。


津波の被害は今後建て直す事が絶対に可能だ。
なぜなら、この島はずっとずっと昔から地震と津波に襲われてはまた立ち上がってきたではないか。歴史がそれを証明している。いま、生きている私たちの世代は、そのような先祖を持っている。その事を忘れてはならない。私たちは不屈の精神を持った先祖とともに生きている。

だが、原発震災の影響はずっとずっと続く。
もはや、元には戻れないだろう。

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