2011年6月17日金曜日

津波から生き残った牛たち…あれから3ヶ月


2011年6月11日。
あの3.11大津波から生き残った宮城県農業高等学校の牛たちへ会いに行きました。



雨上がりの眩しい天気の中、宮城県加美農業高校へと車を走らせました。
初めて訪れる加美農。まず、その敷地の広さには驚きました。
津波直前まで牛を逃がした先生の一人が案内をしてくれました。


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本題の前に、宮農の牛たちの経緯を簡単にまとめたいと思います。

3月11日に起きた宮城県沖を震源とする大地震と、それによって引き起こされた大津波。名取市の海岸近くにあった宮城県農業高等学校は、校舎・寮などの建物や、農業実習のための田畑、そして家畜舎などが全て津波の被害を受けました。飼育されていた家畜たちの命はほぼ絶望的かと思われました。

ところが、津波が引いた後の名取市内の所々で、牛が何頭も見つかりました。彼らは宮農の牛だったのです。なぜ、助かったのか。それは、地震発生直後の津波が来る前、2人の農業実習助手が、つながれている牛を何とか助けようと、牛舎へ駆け戻って逃がしたためです。津波に流された牛たちは自力で泳ぎきり、生き延びていたのでしょう。

のちに、実習の先生たちは手分けして、生存した牛たちを探し出し、宮城県加美農業高校に連れて行きました。地震の被害で燃料等の調達が難しい中での活動だったようです。生還した14頭の牛たちは加美農業高校で受け入れられ、現在もそこで暮らしています。

このブログ内 過去の記事はこちらです→「救いたかった命」と「救われた命」
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2011年6月11日、

宮農の牛たちは全て乳牛、ホルスタイン種です。

津波からの生還直後の牛たちはやはりケガを負っていたり、生傷があったりと痛々しかったそうです。また、何日間も食べられなかったことによる栄養失調もありました。本当に良く生きていてくれましたね。


生き残った牛たちも月齢はさまざま。搾乳期間中の牛もいて、津波に流され救出されるまでの間しばらくお乳を搾ってもらえなかった影響で、その後のお乳の出が悪くなってしまった牛もいるそうです。


また、これも当然だとは思いますが、震災の心理的ショックも相当あったとは思います。こちらの想像も及ばないような、大変恐い思いをした事でしょう。しかも、追い討ちをかけるような原子力発電所の事故。宮城県内の牧草からも高濃度の放射性セシウムが検出されてしまいます。これを受けて、今年3月11日以降に刈り取った牧草を餌として与えるのを見合わせるよう通達がありました(6月11日現在)。屋外の運動場へ連れ出すことも控えられているとの事。心身面の健康が今後も心配されます。



この日は土曜日で、学校の授業はお休みなのですが、宮農3年生の生徒4人がここ加美農に来ていました。この生徒たちは、間もなく開催される第46回宮城県同志会ホルスタイン共進会へ向け、牛の調教や共進会本番での振る舞いを練習するため、ここのところ毎週末、練習に励んできました。

実は、彼ら3年生は普段、仙南の大河原町にある柴田農林高校に通い、授業を受けています。震災で校舎や施設が使えなくなった宮農の生徒たちは、柴田農林高校、亘理高校、加美農業高校の3校に別れて授業を受けているのです。

この震災が無ければ、毎日放課後に牛と触れ合う事ができ、共進会へ向けた練習の時間も充分にとれるはずでした。しかし今年は、こうして毎週土日毎にここ加美農へ通って練習するほかありません。

実習の先生2人の指導に力が入ります。牛は大きな動物、人間が引っ張ったり押したりしても、そう簡単に動いてくれるものではありませんね。牛がヒトの言う事をきいてくれるようにしなければなりません。また、その体重でうっかり足を踏まれでもしたら、ひとたまりもないかと。こういった危険が付き物なので、牛の扱いを知らない素人がすぐ牛を引く事なんて到底無理です。農業高校生は世話を通して少しずつ牛に触れていき、3年生でやっと牛を引く練習の段階まで到達するそうです。

私は、家畜の分野はまったくの素人で(私が小さい頃は私の家でも農耕用の牛を飼っていましたが…)、「共進会」とは何か知りませんでしたが、先生の説明で、家畜の品評会のようなものだと知りました。乳牛は当然ですが、雌牛ですね。と、いうことで、牛の美女コンテストと申せましょうか。ググってみると2005年度の宮城県ホルスタイン共進会の様子が出てきました。

共進会への参加に対する教員の思いは格別なものでした。

昨年(平成22年)度の共進会は、国内で10年振りとなる口蹄疫の影響で中止されました。それへの出場に向け励んでいたにも関わらず、無念にも卒業して行った当時の3年生。彼らの無念さを次年度で晴らしたい、その思いで平成23年を迎えたと話します。

その中で発生した東日本大震災。当日も生徒たちと牛の世話をしていたそうです。自ら危険を冒してまで、文字通り必死になって共進会への出品候補の牛を高台へ非難させ、残りの牛たちも解放させたのです。


いま、2人の実習助手の先生と、ここにいる3年生達は、大津波を泳ぎきって生き残ったこの牛たちと共に、6月20日の共進会へ向け希望をつないでいます。


こちらの牛舎は比較的若い牛を育てるための場所です。ここにも宮農の牛が3頭いました。写真では見えませんが奥にもう1頭います。まだ顔にどことなく子供らしさが残っているように見えます。思わず「かわいい〜」と声に出してしまいました。


「『この子、もうこんなに大きくなったの?!』とか、『あれっ、もしかしてこの子、あの牛の子供?』などと、時々遊びにくる卒業生が牛を見に来て話すんですよ」と、説明をしてくれた先生は話します。「牛の子供は本当に親とそっくりになりますから」

私が話題を福島原発事故による被害について向けました。政府が福島第一原発から半径20km圏内の家畜たちを"殺処分"するとした件です。私自身、この非人間的な決定に対し、疑念と憤りと深い悲しみを覚えます。先生は少し間を置いたあと、慎重に言葉を選ぶように話してくれました。

「この牛たちには、歴代の教師、生徒たちの思いが詰まっています。言わば、みんなの"血"なのです。1頭あたり何円もらえるから、殺処分とか…いくら、お金をくれとるか、そういった問題ではないと思うんです。」



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この宮農の牛たちが何と、
一般の農家も参加する共進会で入賞しました!!!
詳しくはこちらへ→快挙!!! 宮農の牛3頭が入賞

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

連投失礼します。
畜産を専攻していたので、すべてが懐かしく思い出して来ました。
最後のコメント、嬉しい限りです。
私達卒業生の血と汗と涙の結晶なんですよね、あの家畜たちは・・・
生き残ってくれたことに感謝です。