2011年6月7日火曜日

「無関心」それは非人間的


内沼の夕景。2011年2月撮影

石巻の生んだ偉大な作家、辺見 庸
21世紀初頭、9.11以後の"お祭り騒ぎ"のなかイラク戦争へと暴走する狂気の時代。ヒトの「人間性」が問われる時代に、彼の放ったメッセージは…。



(前略) この時代にあっては、国家の要請や、指示、命令にうっかり従うことはできないということを、書きながら常に意識してはいた。本文中でも引用したC・P・スノーの「暗く陰惨な人間の歴史をふり返ってみると、反逆の名において犯されたよりもさらに多くの恐ろしい犯罪が服従の名において犯されていることがわかるであろう」というアフォリズムが何度も脳裏をかすめたのである。

人間はどこまで非人間的になれるのか、という設問と右のアフォリズムには、実際、重大な関連があることに執筆中幾度も思い至ったことである。 (中略) きたるべき(あるいはすでに到来した)戦争の時代を生きる方法とは、断じて強者への服従ではありえない。人間(とその意識)の集団化、服従、沈黙、傍観、無関心(その集積と連なり)こそが、人間個体がときに発現する個別の残虐性より、言葉の真の意味で数十万倍も非人間的であることは、過去のいくつもの戦争と大量殺戮が証明している。暗愚に満ちたこの時代の流れに唯々諾々と従うのは、おそらく、非人間的な組織犯罪に等しいのだ。戦争の時代には大いに反逆するにしくはない。その行動がときに穏当を欠くのもやむをえないだろう。必要ならば、物理的にも国家に抵抗すべきである。だがしかし、もしもそうした勇気がなければ、次善の策として、日常的な服従のプロセスから離脱することだ。つまり、ああでもないこうでもないと異議や愚痴を並べて、いつまでものらりくらりと服従を拒むことである。弱虫は弱虫なりに、小心者は小心者なりに、根源の問いをぶつぶつと発し、権力の指示にだらだらとどこまでも従わないこと。激越な反逆だけではなく、いわば「だらしのない抵抗」の方法だってあるはずではないか。
__辺見庸『永遠の不服従のために』(2002年) あとがき より



同じようなことを、他の多くの賢者・識者も言っている。
それらの言葉も紹介する機会をつくりたい。


辺見 庸 氏が投げた真っ直ぐな言葉。
読んでいて、私はスッとした。
みんなも、もう、気付き始めていることだろう。

だらしのない抵抗、永遠の不服従___
これはマハトマ・ガンディーの非暴力による抵抗にも通じるものがあるのではないだろうか。


やっぱり、起きていたメルトダウン。今ごろ発表するなよ、メルトダウン。「液位計が故障していたから当時は把握できなかった」そんな言い訳してもおてんとさんはお見通しだよ、メルトダウン。冷静に見ると、世界最悪レベルの事故だと考えられる。

こんな目に遭わされてもなお、"お上"の言うことを信じている、等という人は、おそらく、現実から目を背けているだけなのではないだろうか。

私たち日本人は自然界のあらゆるるものに神々が偏在すると信じ、自分たちもその一部として生かされているのだと古来より認識してきたのだ。西洋人が「生態学」なんて仰々しい学問を持ち出す遥か数千年も前に、その真実に気付いて大切にしてきたのだ。

その大切な自然界が、愚かな死の灰で汚れてしまった。ケガレてしまった。母なる大地…水源の山も、耕作地も、命の海も…汚れてしまった。愚かな私たちはそれらの報いを受けることになる。これからもずっとずっと付き合っていかねばならない。


【アフォリズム】
物事の真実を簡潔に鋭く表現した語句。
【唯々諾々】いい・だくだく
少しも逆らわずに 他人の言いなりになる様。

0 件のコメント: