2011年6月11日土曜日

奇跡を起こす「慈悲」の力


スマナサーラ長老の講話と瞑想会『慈悲と瞑想と祈りの集い』に行ってまいりました。

USTREAMによる動画配信も行われました。
http://www.ustream.tv/recorded/15282769にて視ることができます。
会場となった輪王寺の本堂には100名…いやもっと多くの人々が詰めかけました。私が会場へ着いたのは開演の直前でしたが、運良く中央付近の長老から近い座布団の席に着くことができました。長老の生の声がハッキリと聞き取れる位置です。

長老の力強い言葉に、大変なパワーをもらいました。時折発せられる冗談や軽い毒舌に会場は笑いに包まれ、その笑いの度に、人々の生命エネルギーが一気に高まる感覚を覚えました。

そう、「笑い」が必要。

いま、私たちがすべきこと、かつ、誰にでもいますぐにでも出来ること。それは、ニコッと笑うことだと長老は言います。

長老は6月10日に仙台入りし、沿岸部の津波被害が深刻な地帯を見て回ったそうです。そういった被災地で笑顔を見せていたのは、子供たちだけ。元気にグループになって遊ぶ子供たちの笑顔に、見ている大人としても救われる、と。

この大災害に遭い、まず、残された私たちが最も優先すべきこと。
それは「心 (こころ)の問題」であると強く強く語りました。
この3ヶ月で、道路や生活設備など、物質的な復旧はものすごい早さで進みました。津波の被災地では、まだまだ人々が戻り住める状況ではないですが、埋め尽くされた瓦礫の撤去は進み、道路などが復旧しました。しかし、長老は、順番が逆なのではないかと痛烈に指摘します。以下、長老の言葉から要約してみました。

人が幸福なるか不幸になるか、  それはその人の「こころ」で決まることです。

実は私は、自然災害なんて大して恐くないと思っている。本当に恐ろしいもの、それは人のこころなんです。考えてみますと、先の第二次世界大戦では、ある一人のドイツ人の恐ろしい「こころ」がものすごい数の人々を苦しめた。ものすごい数の人々の命を奪った。確かにこの度の東日本大震災は大きな被害が出たが、人の「狂ったこころ」による惨事とは比べ物にならない。「こころ」はそれだけ大きな影響を持つのです。

物質的な復旧は今後何ヶ月でも何年でも、何十年かかってでもいいから、ゆっくりやればいい。でも「こころ」がくじけてしまっていたのでは、再建のために立ち上がる事なんて不可能というもの。幸福か不幸かは、その人の「こころ」が決めること。よくよく考えてみれば、家や車とかいった「物質(モノ)」が無くなったからといって、幸福の問題からすれば大したことは無い。でも、人の「こころ」は「モノ」に執着してしまっているので、それを失うと不幸になってしまう。

実際、あなたはこうして生きている。あなたの「こころ」は、決して津波に流されていない。それなのに、「こころ」がひどく病んでしまい、ものすごい不幸になっている。まるで、家、車、職場などと一緒に、自分の「こころ」まで津波に流されて消えてしまったかのよう。

人はよく、自然災害などでヒドい目に遭ってはじめて、それまでの自分の幸福さに気付くもの。今では、「東日本大震災が起こる前、私はどんなに恵まれていて幸せだったことか…」と皆思っているはずです。でもここで自問していただきたい。大震災が起こる前の自分は本当に幸福と感じていただろうか、と。今よりも遥かに恵まれた環境にいたときさえ、景気が悪いだとか、職場の人間関係だとか、晩御飯のおかずは何にしようかだとか…ありとあらゆることで悩み、不幸になっていなかっただろうか?幸福を実感していなかったのではないだろうか?しかも「バブルの頃は景気が良くてお金が沢山入ってきて、良かったなぁ〜」などと考えていたりするのだ。私は来日して30年。初めて聞いた日本語はというと、「景気が悪い」だった。(ここで会場大爆笑)以来、ずっとずっと日本人は景気で悩んでいたのでは?これでは毎日毎日、不幸で苦しい人生なはず。

結局、人は「いま、自分がいかに幸せであるか」を実感しないもの。やがて、現在の環境を失って初めて、「あの頃は幸せだった」と気付く。世の中は無常です。物質はどんなものでも変化し朽ちてゆく。自分の肉体だって、嫌でも年をとり老化してゆく。ずっと同じではいられない。これは自然界の法則だから、どうしようもない。

今、みんながすべきこと。それは、『いま、自分は幸せ』だと思うこと。そして、ニコッと笑うこと。

確かに、震災前の便利な生活からすれば、今は避難所などで不自由な生活を強いられている人も沢山います。でも、今の状況も、これはこれで良いと受け入れなくては。「貴重な、めったに無い体験をする機会に恵まれた」「何だか急に家族が増えてにぎやかになったなー」「自分は今日もツイている」くらいの気持ちを持たないと。そうして「こころ」が明るくなってはじめて、復興へ向けた大きな力が生まれる。

かといって、家族や親しい人を失えば悲しむのが人間というもの。誰だって、悲しむ。

でも、仏教の教えでは7日間の期限付き。7日間で思いっきり悲しんで、泣いて、8日目からは何事も無かったかのように、次へ向けて努力をはじめる。だって、死んだ人は戻ってきてはくれないでしょう?いいえ、戻って来られても、困るんですけど…幽霊ですからね。


『執着を捨て、無常を悟る』ということですね。
どんなこんな状況になっても、「今日、私はツイている」と思えなくては。本当に幸せになるために。

集いの後半は「慈悲の瞑想」をスマナサーラ長老の指導のもと皆で行いました。
生きとし生けるもの、すべてへの「慈悲」は、ものすごい力を発するのだそうです。なぜなら、私たち全ての生命はつながっているからです。これは科学的に証明されていることであって、そうやって奇蹟的な力を発揮している人々が現に沢山いるのです。私も、その力を見せつけられた3ヶ月間だった気がします。

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