2011年6月25日土曜日

「心が壊れてしまわないために」


高野雅夫・名古屋大学・准教授によるブログ「だいずせんせいの持続性学入門『原発震災(27)飯舘村』」に、飯舘村で暮らしてきた小林麻里さんの手記「心が壊れてしまわないために」が紹介されている。




自分や家族の健康を考え、汚染のない、きれいな環境を求めて。化学物質などの心配の少ない環境で農業がしたい。少しでもきれいな環境で子供を育てたい。余生を美しい自然環境のある土地で過ごしたい。自然に寄り添ったかたちの自給自足的暮らしがしたい。都会ではで難しかったが、動物たちを沢山飼育したい。・・・
様々な動機で、「田舎」とよばれる地域への移住してくる人々も少なくない。最近、田舎暮らしを目指すようになってからは、そのような人々にも多く出会うようになった。類は友を呼ぶとは、こういう事だろうか。私自身、震災前から相方と宮城県の村田町や七ヶ宿町、川崎町あたりに移住したいな、等と語り合っていたものである。

福島第一原子力発電所の事故は、まさに、このような人々にも多大な影響を与えた。

汚染のない、少しでもきれいな環境を求めて、それまでの都市型生活を改め、郊外や山村、「過疎の村」などとも呼ばれる地域へ移住を決断する。農薬を使わず、有機農業や自然の農法で作物や家畜を育てる。自然から遠ざかるのではなく、こちらから自然へ近づいてゆく暮らし。自然の懐へと飛び込んでいき、そこからの恵みに感謝しながらいただく暮らしだ。

原発事故はそのような移住者たちにも例外なく襲いかかる。環境は汚染された。今現在、汚染が収束する見込みはない。自分たちが目指してきたものとまったく逆の条件がそこにできてしまった悲しみは計り知れない。

私も実家の空いている畑で作物を作っている。計測こそしていないものの、汚染されてしまった事は間違いない。汚染されたとわかっている作物を、「これ、私が無農薬・無化学肥料で心を込めて育てた野菜です。どうぞ食べてみて下さい」などと、大切にしている人に勧める事は…できない。原発事故のせいで、そのような小さな喜びも失われてしまった、と言った方が良いだろう。

この際、あまり先祖代々の農地に執着する意味はない。震災前は、いずれ両親がいなくなったら実家の土地を継ごうかとも考えていたが、もはやそれは実現できないだろう。

ブッダが教えるように、「鳥のように生きる」のがよい。石を投げつけられたら、飛んで逃げる。より良い場所へ移動する。それだけだ。自由な心で生きる。土地や財産に執着していては、それだけ心が制限されてしまい、今後どうするかの判断も限られてくるだろう。

私は相方の故郷である宮崎県への移住を決めた。

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