2011年8月15日月曜日

悼み・・・


胸が痛い。
あまりにもむごい現実。目を疑いたくなる。

清掃登山でおなじみの登山家、野口健さんのブログ
福島第一原発、20キロ圏内の世界

これらは本当に血の通った人間の仕業かのだろうか…。
原子力発電の惨禍はあまりにもむごい。

人間の限界なのだろうか…。

でも野口さんは言う…
今まで様々な現場に訪れてきたが、この現場は特に辛かった。正直、気持ちが折れかけた。しかし、気持が折れてもそこに意味はない。嘆いている時間とエネルギーがあるのならば、何かをしたほうがいい。

私たちは、生きるために他の生き物を食べる。
食べるという行為は、必然的に他の生物の命を殺すことになる。
それが、『いただきます』という挨拶にこめられていることなのだ。

あまりにも高次元に加工された食品にあふれている現代では、私たちの食べ物はみな生き物だという真実を忘れそうになるかもしれない。誤解している人も少なくないのではないだろうか…『栄養補助食品』とかいういわゆる『ヘルシーな加工食品』も他の生き物からできていることを…。

最近、「野菜工場」なる施設の話題を耳にする機会も多くなってきた。照明や空調が完備された屋内で野菜を育てる。完全に屋外との環境を断っているので、病害虫の心配が普通のハウス栽培と比べても格段に少ないのだろう。その分、危険な農薬等の使用を減らしたり、完全無農薬も比較的安易に実現できるのかもしれない。野菜工場は食品業界だけでなく、他産業の間でもビジネスチャンスとして話題となっているようで、農業とは全く無縁に思える企業の新規参入も目立ち始めた。

でも、私自身は複雑な気分になる。
野菜工場はそのまんま、自然とかけ離れた現代型の畜産を連想させる。

家畜舎に閉じ込められた牛や豚、鶏たち。彼らは一生、眩しい太陽を見ることはなく人間の食料の肉となるために殺されてゆく。空の青さや、月明かり。星空も知らない。草の臭い、土の香り。太陽の温かさ、木陰の涼しさ。そよ風、台風。何も知らされずに育ち、殺されてゆく。

そもそも、生命を人間の都合でそのように扱うこと自体、いかがなものなのだろうか?これは原発事故による災い以前の問題なのではないだろうか。みんな、そこまでして肉を食べたいのだろうか?そこまでして牛乳や乳製品を食したいのだろうか?それが「豊かさ」なのだろうか?

3.11大地震・津波の大災害と、未曾有の原発災害。
これを機会に、私たちの食について、健康について、そして他の生き物について、考えてみてはいかがだろうか。

私は、本気で信じている。
家庭の食卓から世界が変わる

<<余計かも知れませんが、補足>>
私はベジタリアンではない。私は、機会があれば豚肉や鶏肉、牛肉を普通に食べることもある。美味しくいただいている。でも、普段の家庭内では肉はめったに食べない。主に小型の魚を食べている。あまり肉が食いたいという願望自体がない。牛乳は飲まない。乳製品は極力やめた。肉や乳製品を食べなくても、人は育つし、体を維持できると思う。私も毎日ヒゲが伸びるし、爪や髪の毛も普通に伸びる。たまにする献血の血液検査も特に異常はない。いたって健康そのものだ。

0 件のコメント: