2011年9月4日日曜日

「大丈夫」…その根拠はどこから?



 さて、ここ宮城県ではもはや、人々の口からもあまり発せられなくなりつつある、放射能による汚染の話である。
 今更ながら、群馬大学の早川由紀夫教授による汚染地図を知ったので、覚悟はしていたものの、厳しい現実を再認識させられた。 私の故郷である角田市も、旧ソ連・チェルノブイリ原発事故の事例に当てはめると、無条件で移住すべき汚染レベルに該当している。

早川由紀夫の火山ブログ 放射能汚染地図(三訂版)


 チェルノブイリ原発事故後、放射線量が年間5mSv以上の地域は「無条件移住地域」とされ、そこに住む40万もの人々が2週間以内に強制移住させられたという。事故から25年、いまだにその地域に人は住むことはできない。
 年間5mSvというのは、ゆるーい日本の法律でも「放射線管理区域」に指定されるほどの放射線量である。このような区域に人は住むことは許されないし、ましてや、子供がずっとそこにいてはいけない場所であるとされる。

 そのような高い汚染レベルの地域に、いまでも300万人以上の人々が住み続けている。約40万の子供たちが学校へと通う。これがいまこの国で起きていること。これを異常事態と言わずして何と呼べばいい?

 子供たちは四六時中、放射性物質による魔の手に曝されている。それはどうやってもくつがえすことができない事実であり、科学的なことだ。健康被害が顕われてくるのは3年後なのか、10年後なのかはわからない。しかし、その答えが出てからでは、いくらなんでも遅すぎる。
 何にもおいてもまずは、妊婦と、子供とその母親をより汚染レベルの小さな土地へ避難・疎開させなければならない。それこそが生き残った大人たちの最も優先すべき仕事なのではないだろうか? 次にこれから子どもを作るであろう、若い世代を。学校や大学の休校・閉校も大マジメに考えても良いのでは?次の社会を作っていくのは子どもたちである。
 多くの人々は、人生設計を根本から変えなくてなならないかもしれない。でも、それは子供たちを守ることからしたら当然のこと。ローンを組んで手に入れた家。生まれ育った故郷。 残念ながら、物質界のモノはあの世に持って行けるものではない。あの大津波が来たとき、「クルマは絶対に手放したくない」からといって自動車で避難し、津波に飲み込まれてしまった人がどれほどいたか…。

 冗談でなく真面目な話、人々がパタリ、パタリと死んでいくような事態にでもならない限り、避難しないものなのだろう。「大丈夫です、安心です」という"デマ"を信じて…。



 震災後の3ヶ月間は特に、脱原発や放射能汚染からの自己防衛といった内容の講演会や集会が多かった。それらは、この地域の住民有志たちによる、市民レベルの催しだった。
 では、いったい、なぜ、ここのところパタリとそれらが無くなったのだろうか? 嫁さんと話をした。きっと、市民集会を催すような意識の高い人たちの自主避難がすでに進んでいるからなのだろう。
 かれらは皆、同じ気持ちだと思う。というのは、移住や疎開を決断させた最たるものは、学校や地方自治体への不信感であろう。早い話、行政や学校関係者の放射性物質に対する知識の乏しさ、危機感の無さ、無知(知ろうとしない煩悩)に絶望したのである。「こんな人たちに大切な子供たちを任せられない」と。私も同感だ。

- - -  このブログもただの写真掲載のためにはじめたものが3.11以降は主に思いついたことを書きなぐるためのものへと変わってしまったが、まあ、それもいいかもしれない。いつかは、こことは別にブログなりウェブサイトを立ち上げたいと思っている。生き方を、より良く人生をおくるためにはどうすれば良いかを考えるための材料をささやかに提供するためのサイトだ。それは以前からわたしがやりたかったことでもあるが…やっぱりこのような怠け者な性格なので、それは未だに自分の妄想にとどまっている。

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