2011年11月8日火曜日

声を上げるか? それとも泣き寝入りするか?


 宮城県では11月4日、3.11震災の影響により延期されていた県議会議員選挙の告示がなされ、13日の投票へ向け選挙戦の最中だ。 

私の父親は地元のでの顔の広さが買われ、ある候補者の選挙運動に協力している。現・県知事を支持する勢力だ。

次の話を聞いて驚く人は、公民の教科書にあることを本気で信じているおめでたい人だ。
都市部の核家族世帯では違うと思うが、地方選挙も国政選挙も、田舎の選挙は縁故で票が決まる。コネクションで決まってしまうのだ。「まぁまぁ、よろしくお願いします」で当選者が決まる。そうやって当選した政治家が、実際やるその「仕事」について後になって「こんなはずではなかったなゃ〜」等と陰口を叩く。


だが・・・
 私は今回ばかりは黙っていられない。今の県行政のあり方には許容し難いものがあるからだ。

いったい、誰のための『復興』だ?



(写真と本文とは関係ありません)

 「復旧」は一刻を争うことだった。これには全く異論は無い。食料や光熱水の供給、そのための交通網の修復、医療・衛生設備など生活基板を最優先で復旧しなければならなかった。その動きは他県や中央政府、諸外国などからはるばるテント持参で救援に来てくれた数多くの専門家の活躍が光っていた。誰もがカッコ良かった。光っていた。

 しかし・・・である。

某・県知事をはじめ、産業界に偏っている人たちが提唱する『創造的復興』って、何だろう?

誰のための復興だという問いに対しては、このような答えのようだ。
「産業界のための復興である」と。

3.11あの日まで、「そこ」に住み、仕事をし、食べ物を食べ、寝て起きていた人々。「そこ」で暮らしてきた人々をないがしろにする『創造的復興』計画。こりゃあ、許すことはできない。
もしも、自分がそのような仕打ちを受けたら、どう思いますか?カネに目がくらんだ"餓鬼"の想像力はもはやそれこそ悪ガキ以下だ。

 いま、仙台の歓楽街「国分町」は異様な熱気に包まれているそうだ。札束をフトコロに、豪快に遊ぶ客が目立ちはじめたようだ。いわば、「復興バブル」。
 震災前後でもこの国の人々は何も変わっちゃいないのか。土建国家は崩壊寸前。マスコミの誘導により、ギリシャ問題だけに目がいきがちだが、この国の借金は国民一人当たり700万円にも膨らんでいるそうだが…。あくまでも単純計算での700万円だ…生まれたばかりのゼロ歳児から、働けなくなった寝たきりの人も全部ならしての¥7000000。現金がないのに借金までしてハコものを造ったり、無駄なダムや原発を造ったり、戦地に自衛隊を送ったりしているのが私たちの国ニッポンなのだ。

 津波や大火事で、沿岸部は壊滅した。だが、見方を変えれば、立ち退きと建物の取り壊しが済み、更地化まで済んだ土地と等価のようだ。これが、"公共事業屋さん"から見れば恰好のえさ場であろう。

 驚いたことに、現在、宮城県の津波被災地では、再び住民が家を立てたり会社の建物を建て直したりしたくても、それが禁止さているのだ。何としたものか! それ故、被災地の元の土地での再建を諦め、内陸部に新工場を建てて操業を再開する会社も出てきている。何としたものか!!! こんなめちゃくちゃなことが許されていいものか?

 津波の被害地に新しく立派な道路ができるかもしれない。しかしその頃にも3.11以前と変わらず人々や荷物が活発に行き交うことがあるだろうか。その立派な道路はいったい誰が利用するのだろうか。

こんな事実もある。
宮城県震災復興会議開催要綱」にある委員名簿をご覧いただきたい。何と、宮城県民が一人もいないのだ。下はある会合での某・県知事の発言
県の震災復興会議メンバーは、日本全体のことを考えながら本県の復興を考えなければならないとの問題意識から、宮城県在住以外の有識者を中心に12名にお願いし、議長には元東大総長の小宮山宏氏に就任いただいている。
__日本貿易会 月報 2011年9月号
宮城の住民を排除して大切なことを勝手に決めるのだろうか。宮城県民はこれを黙って受け入れなければならないのだろうか??
さらに悪いことに、復興会議議長とやらの小宮山宏とは何者か。原発御用学者の一人で要注意人物だ。この原発事故以前からも二酸化炭素温暖化説というデマをばらまき、ずっと人々を混乱させてきた。「早くも免責提案!! 小宮山宏前東京大学総長|キノコの光合成」に、新聞社の取材に対するコメントがまとめられているのでご参考に。



で・・・
もういいかげん、「なぁなぁ、まぁまぁ」の関係を卒業していいのでは?

なれ合い・もたれ合いの関係から、真の地方自治の関係へ。まさに、今、変わらないと、本音で語り合うようになっていかないと、本当に私たちのふるさとが無くなってしまう。「こんなはずじゃなかった」では遅すぎるのだ。

 とりあえず、付き合いでの選挙はもう、ヤメた方が良い。自分たちにとって、そして未来のこと、子供や孫の世代のことを考えて、より良い社会を作っていくにはどうしたら良いか行動する。そのためには、まず、政治家をちゃんと選ばなくてはいけない。…っていうか、私たちの政治参加の権利はそれでしか発揮できない。いつも思うが、順序が逆なのである。選挙でちゃんとした政治家を選び、投票する。そうやって選んだ政治家に陳情などして市民の声を託す。それが本来の手順であろう。でも実際は、選挙はなあなあに、または棄権する、やがて、政治に不満があれば陰口を言ったり騒いだり。でも後の祭りだ。なぜなら、選挙で選ばれた人物は"合法的に"住民の代表であるから。何をやっても、合法的に選ばれた政治家であるから。こんな事を繰り返していても、世の中よくなるはずは無い。今までがずっとずっとそうであったから。私自身、学生の頃から、この国には自由選挙は無理なんだなと感じていた。田舎では縁故の力はやはり絶大だったから。

 3.11以前の問題で、地方都市の(仙台市も例外ではない)シャッター通り・ドーナツ化現象・買い物難民などの問題や、若者流出と孤独老人の増加など、地方にまつわる様々な問題、そのほとんどすべては、これまでの数十年間に私たちやその親、祖父母たちが選択し行動してきたことに起因する。これまでの拝金主義、企業誘致に頼る地方行政などの考え方の結果が今現在の姿なのである。今の問題を解決するために、さらに企業誘致や農業漁業の大規模化・集約化など「もう聞き飽きた」ような前世紀型のやりかたを繰り返すことは何を意味するか。

 3.11の大被害の後、元の住民が半ば強制的に立ち退かされ、その跡地に無味乾燥のコンクリートが流し込まれる。おそらく爆発的に地方の寂れが加速するだろう。

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